大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

札幌高等裁判所 昭和44年(う)101号 判決 1969年11月06日

主文

本件控訴を棄却する。

理由

本件控訴の趣意は、札帆高等検察庁検察官隈井光提出の控訴趣意書記載のとおりであり、これに対する答弁は、弁護人組村真平外一名作成の答弁書記載のとおりである。

検察官の所論は、要するに、漁業法一三八条六号、六六条一項違反の罪は原則としてわが国の領海および公海においてなされた漁業についてのみ成立するとした原判決は法令の解釈適用を誤つたものであるというのであり、これに対する当裁判所の判断は、次のとおりである。

漁業法が場所的には公共用水面又はこれと連接一体をなす非公共用水面につき適用されることは、同法三条および四条によつて明らかである。そして、右の公共用水面又はこれと連接一体をなす非公共用水面の意義ないし範囲は必ずしも明確でないから、同法中のある条項の適用の可否を問題とするに際しては、漁業法全体および当該条項の目的、趣旨等を勘案して右の意義ないし範囲を決すべきであるとともに、本件のように、適用の可否が問題となる条項が罰則であるときは、右の公共用水面又はこれと連接一体をなす非公共用水面は、場所的規制範囲を限定する構成要件要素として理解しなければならない。本件においては、この観点から同法一三八条六号、六六条一項における公共用水面又はこれと連接一体をなす非公共用水面の意義ないし、範囲が、―構成要件上場所的規制範囲を限定するものとして―問われることとなる。この点、原決判は、漁業法一三八条六号、六六条一項の場所的適用範囲は、右の漁業法三条、四条の規定とかかわりなく、漁業法全体の目的、性格と同法六六条一項の意義を勘案して決せられるべきであるとし、当裁判所と見解を異にするが、両者の見解の差は、漁業法六六条一項の場所的適用範囲を論ずるに当つて、同法三条、四条の「公共用水面又はこれと連接一体をなす非公共用水面」なる観念を介在させるかどうかの点の差にすぎないから、重要なものではない。

ところで、まず、漁業法六六条一項は、その所定の漁業の一般的な禁止を前提としつつ、特定の場合にこれを解除する趣旨の規定である。この一般的な禁止の目的を、同法一条に掲げられている同法全体の目的と、右六六条がいわゆる沿岸漁業に関するものであることをも併せ勘案して考えると、それは、いわゆる沿岸漁業に関して漁業法一条に掲げられている目的を達成するための漁業調整をなすこと、具体的には、限られた漁場と資源のもとで、漁法、漁具、船舶等の面で進歩著しい漁業技術の駆使を、事業規模や資力に格差のある漁業者の自由な競争に委ね放任することによる不幸な事態を防ぐため、乱獲を押えて水産資源の適正な利用ないし保護培養を図るとともに、自由競争を制限して、沿岸漁業に頼らざるを得ない多くの中小規模の漁民の事業と生活を保護することにあるといえよう。そして、水産資源の適正利用の見地からは、沿岸漁業の事実上可能なおよそ全海域を規制範囲とし、また漁民保護の立場からも―それには抜け駆け的な漁獲競争を抑止されるべきであるから―、同様におよそ事実上操業可能な全海域を規制の範囲に含めるというのが最も目的に適うことになる。したがつて、この行政目的を強調し、漁業法一三八条六号、六六条一項の一般的禁止の場所的適用範囲を沿岸操業の事実上可能なおよそ全海域とし、少なくとも右の海域中、そこでの操業がわが国における水産資源の適正利用ないし保護培養と漁民保護とに相当な影響を有する場合をこれに含ませるとすることにも、一応の理由があるといわなければならない。

しかし、このように解するならば、漁業法一三八条六号に違反する操業を行なつた場合は、その場所のいかんを問わず、現実に操業した以上沿岸漁業の事実上可能な海域で操業をなしたとされる公算が大きく、かくては、具体的適用の場において、右条項の場所的適用範囲を論ずる実益はほとんど失なわれることになろう。漁業法が一切の水域を規制対象とし属人的に効力を持たせる法律であるのならば格別、前述したように、それは、その三条、四条によつて場所的適用範囲の限定を予想していると解される以上、前記の見解を是認し得るか否かについては、さらに慎重な検討が加えられなければならない。そして、漁業法が何といつても漁業に関する一般法であり、同法三条、四条も特殊の限定された水域を規制範囲として予定しているとは解されないところであるから、漁業法一三八条六号、六六条一項の場所的適用範囲を論ずるに当つて、前述した操業可能な海域であるかどうかの観点から考察を進めるとしても、それは、やはり、一般的に操業可能な海域といえるかどうかを問題とすべきであろう。

右の見地から考えると、まず、わが国の領海において一般的に沿岸操業が事実上可能なことはあらためにいうまでもなく、また公海は、国際法上あらゆる国の人が航行、通商、漁業等のために原則として自由に使用できるのであつて、現実にもわが国の漁民は広く世界各地の公海で漁業を営んでいるところであるから、やはり、そこでは一般的に沿岸操業が事実上可能であるといつてよいであろう。しかし、外国の領海についてはこれと同一には論じ得ない。すなわち、原判決も指摘しているように、外国の領海は国際法上当該外国の属地的統治に委ねられ、他の国は無害航行等特別の場合を除いては自由に使用できないのであつて、漁業についても、当該外国はその領海につき排他的権利を有するのである。したがつて、国際法上わが国の漁業者は外国領海において漁業を行なうことはできず、また、もしこれを行なえば、当該外国により領海侵犯等の理由で取締りを受け処罰されてもやむを得ないところであるから、実際にもわが国の漁業者は外国の領海に立ち入つてまで操業することをさし控えるのが通例である。したがつて、外国の領海は、わが国と当該外国間の条約等の合意によりそこでわが国の漁業が許されている場合を除き、一般的に沿岸操業が事実上可能な水域とはいえないというべきである。

以上みたとおり、漁業法一三八条六号、六六条一項の目的、趣旨と漁業法の性格とを併せ考えると、右条項による規制の場所的範囲は、原則として領海(内水をも含む)。および公海に限られ外国領海については、わが国と当該外国間の条約等の合意により、そこにおけるわが国の漁業が承認されている場合を除きこれに含まれないと解するのが相当である。原判決は、この点につき、問題となる水域において漁業調整上の各種規制が必要かつ効果を挙げ得るかどうかという観点から論議を進め、外国の領海における漁業にまで漁業法所定の漁業調整上の規制を一般的に及ぼす必要があるか否かはすこぶる疑問であるとし、結局当裁判所と同じ結論に到達しているが、ある範囲の水域に漁業調整上の規制を(一般的に)及ぼす必要があるかということとそこにおいて(一般的に)操業が事実上可能かどうかということは表裏一体の関係にあるから、両者は同じ趣旨を観点を変えて述べたにすぎないものといい得よう。

次に、前述したように漁業法六六条一項は、その所定の漁業を一般的に禁止し、特定の場合に都道府県知事の裁量により、この禁止を許可という形式で解除する場合の規定であり、同法一三八条六号は右許可を受けることなく一般的禁止に背いた場合にこれを処罰せんとするものである。したがつて、右の一般的禁止の場所的範囲は都道府県知事の許可の性質、範囲という観点からも考察されなければならない。もつとも、一般的にいつて禁止の範囲と許可可能な範囲とが常に一致しなければならないということはなく、それは場所的範囲についても例外ではないということはいえるかもしれない。しかし、漁業法一三八条六号の「六六条一項の規定に違反して漁業を営んだ者」という文言は、やはり六六条一項の許可を受けるべきであるのにこれを受けないで漁業を営んだ場合を指し、許可可能であることを前提としていると解するのが相当であり、同号がこの場合のほか都道府県知事の許可のおよそあり得ない水域における漁業をも処罰の対象として含んでいると解することは困難である。したがつて、同号の場所的適用範囲は同法六六条一項の許可可能の場所的範囲と一致して考えられるべきものである。しかるところ、都道府県知事が外国の領海について漁業法六六条一項の許可を与えるということは、当該外国との条約上の取り決め等により、外国がそこにおけるわが国の漁業を承認し、その結果漁業調整の必要が生ずる場合のほかは、国際法上考えられないところであり、この点からも漁業法一三八条六号、六六条一項の場所的適用範囲は、原則として外国の領海に及ばないと解するのが相当である。

また、原判決も指摘するように、漁業法は一三四条において、主務大臣又は都道府県知事は、漁業調整等のため必要な場合には、当該官吏、吏員をして漁場、船舶等に臨んで状況、物件等の検査をさせ得る旨規定しており、これは漁業法六六条一項所定の漁業についても例外ではないと認められるが、前述したとおり、外国領海は国際法上はわが国の行政権の実力を正当に及ぼし得ない地域であり、したがつてわが国は外国領海に立ち入つてまで、右の検査を含む漁業取締の実力を行使し得ないものというべきであり、このことも、前記のように解することの一つの根拠となるであろう。

さらに、漁業法は、同法一条に掲げられた行政目的を達成するために定められた、いわゆる行政法規に属するが、原判決も述べるように、一般に、行政法規はこれを制定する機関の権限の及ぶ全地域に効力を有すると同時に、その地域に限界を有するのが原則であるとされていることが留意されなければならない。これを国会の制定する法律についていえば、それはわが国の全領土および領海にわたつて効力を有するとともにそこに限界を有するのが原則なのである。もとより、これはあくまでも原則であつて、行政法規の目的ないし性格のいかんによつては、これを制定する機関の権限の及ぶ地域を越えて属人的にその効力を及ぼさせることも不可能ではないであろう。たとえば、外国において旅券の発給を受けようとする場合に関する旅券法の規定がそれである。ただ、この場合はあくまでも例外なのであるから、そのように認められるためには当該行政法規にその旨の明文が存するか又は当該法規の目的ないし性格から明確にその趣旨が導かれることを要するというべきである。しかるところ、漁業法一三八条六号、六六条一項の場所的適用範囲が外国領海に及ぶことの明文はないし、また同法の目的、性格からその趣旨が明確であるともいえないことは、前述したところにより自から明らかであろう。

以上を総合していえば、漁業法一三八条六号、六六条一項の場所的適用範囲、すなわち、右条項における公共用水面又はこれと連接一体をなす非公共用水面の範囲は、原則としてわで国の領海および公海に限られると解するのが相当ということになる(ちなみに、このように解することは、わが国に近接する外国の領海、特にわが沿岸漁業等の漁場として適する海域にわが国の漁船がひそかに侵入して操業する行為を放任することとなり、このことは行政目的という観点からは好ましくないものといえよう。しかし、刑罰法規はおよそその目的に反するあらゆる行為を処罰の対象とするのではなく、そこには自ら当該法規の性格、文理等から導かれる合理的な限界が存するというべきであつて、すでに検討を加えたところによれば、右のような行為の禁遏は現行漁業法のわく外のものであり、その趣旨を明示した新たな立法措置に委ねられるべきものと考える。)。そして、記録によれば、本件公訴事実の五回の操業のうち最初の一回を除く四回の操業はクナシリ島沖三海里内で行なわれたものと認められ、所論もこれを争わないところ、原判決が説くような理由によつて、クナシリ島およびその領海は、領土的な帰属はともかくとして、現在ソヴィエト社会主義共和国連邦が属地的に統治し、わが国が統治権の実力を行使し得ない点で一般の外国領海と同一視することができ、それ故、クナシリ島沖三海里以内の海域は、外国の領海と同様漁業法一三八条六号、六六条一項の規制の対象とされていない場所とみるべきであるから、前記四回の操業行為は罪とならないものというべきである。したがつて、これと結論を同じくする原判決には何ら所論のような法令の解釈適用の誤りはなく論旨は理由がない。

よつて、本件控訴はその理由がないから、刑事訴訟法三九六条によりこれを棄却することとし、主文のとおり判決する。(深谷真也 小林充 岨野悌介)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例